2017年02月05日

DVDが出ました

第16期女流最高位決定戦の
DVDが発売開始になりました。



どうも、ズムです。



それに伴い1日目1〜4回戦の観戦記
高倉プロが書いてくれました。
ぜひ御一読くださいませ。

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ところで、多くの人は、競技ルールで
打つのが競技麻雀だと思っていると
思うのですが……。
私個人の意見としては、作法やシステム
込みで競技規定だと思っているので、
例えば最高位戦ルールで、特に勝利条件も
決めず適当に何回か打ってみましょう、
というのは競技麻雀ではないんです。
それは「最高位戦ルールでやる麻雀」です。

逆にたった1半荘でも、
「この半荘トップだった人が勝ちね」
と決めて、決められたルールと作法で
行うなら、競技麻雀だと思うんです。

我々が普段、競技麻雀の練習をするときは、
このように最初に勝利条件の設定します。



ところで私は、ルール、マナー、システム
と、同じ競技規定なのに別物のように
言われている現状について意見がありまして。

これはプロ試験を受ける前から考えていたこと
なのですが、訳あって自分が女流最高位じゃなく
なってから書こうと思っていました。
でもなかなか女流最高位じゃなくならないので
今書きます(笑)



最高位戦の競技規定には(上記の分類を
するとしたら)ルールとマナーについて
の取り決めが書いてあるんですよ。
競技規定をわざわざルールとマナーに
読み分ける意味は、巷の通例だからという
だけなのではないかなと予想してます。


こうして、崇高なる競技規定を、内容に
よって別物のように扱うことのデメリット
があって、
「ルールは遵守しなくてはならないけど、
マナーは可能な限り守るればいいかな」
そんな雰囲気が生まれると思うんですよ。


なんでそう言い切れるのか、と思うかも
しれませんが、巷の麻雀店に入れば
一目瞭然なわけです。

私はなんなら、巷の雀荘でも、@ルール、
Aマナー、と書き分けている内容を、
全部ルールとしてその店で遊ぶ際の決まり
とすればいいんじゃないかと思います。

守ってほしいと思っているならですが。
(個人的にはフリー店で他人がどう打とうが
あまり気になりません)


で、システムについては競技規定には
書いていないのですが、これは重要では
ないから書いていないわけでは当然なくて、
種目によって違うから、共通項の部分しか
競技規定に載っていない、ということです。

このシステムというのも、競技規定とは
別物のように扱うことで、敗けの言い訳に
する人が現れたり、他人の勝利にケチをつける
材料にしようとする人が現れたりするのです……。
嘆かわしいことです。



要するに。
女流最高位決定戦は8回戦しか打たないので
お前はたまたま運よく勝っただけだと、
何度も言われてきたんですが、(実は確かに
運よく勝ったのですが……)そう思う人は、
ただ競技麻雀を理解していないだけなのです。


(↑訳あって云々、と書いたのは、手前味噌の
材料にしているように見えると思ったからですが
ことの意味はまったく違います)



競技麻雀は、マイナー競技です。
麻雀をたしなむ人の多くは、仲間内での
セット麻雀か、フリー麻雀、ネット麻雀
を打つ人が多いと思います。
これが、日々の普通の麻雀です。


これらの麻雀と競技麻雀の一番の違いは
赤牌や裏ドラの有無ではありません。


競技麻雀は打つ回数が決まっているのです。


限られた半荘の中で、優勝か敗退か。
昇級か残留か、はたまた降級か。
を決めているのです。


日々の麻雀はエンドレスで打つことが
できるので、アベレージの高さが強さの
指標になります。

なので、競技麻雀を見て、
「5回10回打っただけじゃ、強さなんて
わからないだろう」
と思うのです。
この基準で考えると、100回打っても
一番を決めるには十分な数ではないと
私は思います。


先日、多井さんがこんなツイートを
していました。

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ひとつ言いたいのは、多井さんのように
競技麻雀で多くの勝利をしている強い人は、
アベレージも高いということです。
金太郎飴のように強くないと、ココイチの
舞台で何度も一番にはなれません。

そしてココイチの舞台でも1度も手が入らず
惨敗することもある覚悟がないと、到底
やってられないはずだとも思うのです。



一般の人が訝しく思うのは仕方ないことです。
もう一度言いますが。
競技麻雀はマイナー競技なんです。
つまり、選手が価値を高めようと努力しないと
その価値は誰にも伝わらないということです。


ですので。
私は選手なので、競技麻雀やタイトル戦を
大事にし、価値を高めようと努力しないと
いけないと思っています。

そのひとつが麻雀を研磨することであり、
そのひとつが品行方正に振る舞う努力であり、
そのひとつが他の選手の勝利を讃えること
だと思っています。



人の勝利を讃えるというのは、選手に
とってみたら酷なことなんです。
「俺が負けて、あいつが勝った!」
そんな悔しい気持ちは年中溢れ返ってます。

競技麻雀は、なかなか勝てないけど、
毎回誰かは勝つからです。


選手だけでなく、ファンにとっても同じです。
特に女流選手には個別のファンがいたりします。
応援している選手が負けたら、勝った選手が
憎らしいのは当然のことです。


【羨望】という気持ちを、
「他人の幸福が我慢できない怒り」と
定義した昔の文化人がいるのですが、
まさにその通りだと思います。


ただ、選手ならばそんな利己的な感情を
持っている場合ではないのです。
負けた試合、負けた相手、負けたルール。
これらにも敬意を払うべきだからです。



私は、勝ったことも確かにありますが
負けることの方が圧倒的に多いのです。
負けは本当に悔しいです。
本当に悔しいのです。

が。
人に対する羨望は不思議と沸いてきません。
自分の強さに自信がないからかもしれませんが、
自分が麻雀で負けたのですから。
そしてその麻雀はとても大事なものだからです。



ただし、やっぱり落ち込みはします(>_<)
弱き心ですね。



心は、強く、豊かに!!!


posted by ズム at 02:49| Comment(4) | 麻雀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

ムカシズム「ねこ」

「ムカシズム」カテゴリの記事は
約一年ぶりの更新。
これは昨年末に実家に帰ったときに、
母から聞いた話。

大平家では、猫を飼ったことは
なかったのだが、奇妙に我が家と
縁のあった猫がいたらしい。
私はまったく知らなかったが……。



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1992年頃?


8歳年の離れた弟がいる。
彼が3、4歳の頃の話。

隣の家にはその弟よりひとつ年上の
男の子、キョウちゃんがいた。
キョウちゃんはある日、どこからか
野良の子猫をみつけてきていた。
黒白の猫だ。

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おそらくこのタイプの猫。


家で飼いたいが、家族に反対され、
友達である弟とふたり、子供だけで
猫を育てる計画を立てていた。


が、所詮は子供の企み。
今度はうちの母にみつかった。
こうして子猫は、大平家でちゃんと
飼おう、という話になったようだ。


とはいえ、我が家では猫を飼った
ことはなく、猫グッズもない。
家でひとり(1匹)留守番をさせる
わけにもいかないだろうと、
母は猫を車に乗せ、買い物に出た。

が、慣れない車移動のためか、
途中で猫は車から降りたがった。
世話をするため車をとめ、ドアを
開けたら、子猫は外へ逃げていって
しまったのだった。

猫はどこにも見当たらない。
元々野良猫なのだ。仕方ない、と
母はしょんぼり家に帰った。


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数日後。
母はひとりで家にいた。
すると、窓の外からあの子猫が
こっちを見ている。


猫が帰ってきた!


母は庭に出てみたが、猫はニャーと
どこかに走り去ってしまった。

車から猫が降りたのは家から歩いて
20分ほどの距離がある。
車中で道を覚えるられるのだろうか。
謎は残った。


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それから5年あまり。
庭にたびたび、黒と白の野良猫が現れ
「ふん」を残すようになったと、母は
困っていた。
近寄ると、猫は逃げていく。
ついにペットボトルを配置した。


母はあの猫のことを忘れていた。


しかしふと、思い出した。
そういえばあの黒白の毛並みは……。
気付いた頃には、猫はペットボトルに
恐れをなし、庭に現れなくなっていた。


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明くる年の秋、台風が迫っていた。

古い記憶だが、鹿児島の台風は
東京とは比べ物にならなかった。
家の戸締まりをしていた母。
わずかに開いている屋根裏の扉も
きれいに塞ぎ、大平家は台風に
備えていた。


台風が通りすぎ……。


静かになった家のどこからともなく
猫の声が聞こえてきていた。
ニャーニャーニャー。
だが、どこを探しても猫はいない。


天井から聞こえてくるのだ。


もしやと思った母は、屋根裏の
扉を開けた。
よくみると、猫が入った形跡が
ある。が、姿は見えない。

屋根裏と言っても、部屋ではない。
天井は低く、細い空間をぐるりと
まわると、階段の物置に繋がって
いる。
狭く広い空間……子供達にとっては
格好の遊び場だったが、大人の母が
入れるものでもない。
仕方がないので扉を少し開け、猫が
逃げ出せるようにしておいた。


おそらく、庭を追い出された猫は、
たびたびこの屋根裏を利用していた
のである。
天井から猫の声が聞こえなくなった。


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さらに5年ほどの月日が流れた。
母が買い物に行こうと駐車場に出ると、
そこには黒白の猫が待っていた。
毛は所々抜け、年老いた猫だ。


あの猫である。


猫は母の足元にすりより、ゴロゴロ
と甘え始めた。
今までになかったことである。

そこに一緒にいた弟(冒頭の弟)は、
猫が大好き。
お母さんばかり、いいな!
と、自分も猫を撫でようとするも、
見向きもしない。


猫は母だけになついていた。
ニャーニャーニャー。


あの猫が、お別れをしにきたんだ。
母はそう思ったという。



その日以来、大平家に猫が現れる
ことはなかった。


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以上、不思議に何度も再会し、
不思議に何度もすれ違ってきた
猫と母の話。


posted by ズム at 02:05| Comment(3) | ムカシズム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする